古着屋の均一棚で、丸めたルーズソックスを見つけた。ゴムはとうに伸びきって、もう履ける状態ではない。それでも手が止まったのは、こんな靴下ひとつが、当時は学校や報道番組まで巻き込む騒ぎになっていたことを、指先が先に思い出したからだ。厚底、ガングロ、プリクラ、アムラー――平成のギャル文化は、ただの「流行」で終わらず、何度も社会現象と呼ばれる領域まで越境した。今回はその越境の強さを「社会現象度」という軸で、編集部が見立てとして並べ直してみる。断っておくと、これは公式の調査でも統計でもない。あくまで編集部の見立てとして読んでほしい。

なぜ「社会現象度」で並べたか
平成のギャル文化を語るとき、単純な人気投票だけでは測れないものがある。ファッションとして支持された期間の長さと、当時ギャルではなかった人たち――親世代、学校の先生、ニュース番組のコメンテーター――まで巻き込んで賛否が語られた広がりは、まったく別の軸だ。今回は「渦の外側までニュースになったか」「今も『平成といえば』の代名詞として語り継がれているか」というふたつの物差しを重ねて、10個を並べてみた。厳密なスコアではなく、あくまで傾向の整理として読んでもらえたらと思う。
No.10ギャル語(コギャル語)
「チョベリグ」「マブい」「ウザい」――当時の女子高生発の言葉づかいは、テレビのバラエティやニュース特集で繰り返し取り上げられ、大人たちが真似をして失笑を買うほど広く浸透した。「現代用語の基礎知識」選の新語・流行語大賞では、1996年(第13回)のトップテンに「チョベリバ/チョベリグ」が選ばれている。受賞者は「該当者なし」で、選評は「世を席巻している女子高校生言葉の最新バージョン」と書いていた。言葉そのものは移り変わりが早く、今では死語になったものも多いが、「若者言葉が全国区のニュースになる」という現象自体は、後のJK用語ブームの原型になった。10番目にしたのは、社会現象としては派手だったぶん、寿命がいちばん短かったからだ。
No.9ポケベル・写メ文化
数字の語呂合わせでメッセージを送り合ったポケベル、そこから移り変わったPHSやケータイ、そしてカメラ付き携帯電話が広めた「写メ」文化。友だちとの連絡手段が変わるたびに、女子高生の間で新しい遊び方が生まれ、そのたびにメディアが「今どきの子は」という切り口で特集を組んだ。手のひらの機械が友人関係のルールまで変えていくのを、当時はただ面白がっていた。振り返れば、これは友人づきあいの作法そのものを塗り替えた、平成の通信史でもかなり大きな出来事だ。
No.8厚底ブーツ・厚底ブーム
ソールが分厚いブーツやサンダルは、街を歩く女子高生の背を一気に高く見せた。かわいさの記号であると同時に、歩行時の姿勢が不安定になるぶん、捻挫や転倒によるけが人が続出したと記録されている。遊園地のお化け屋敷が、驚いた拍子に転ぶ入場者に悩まされたという話まで残っている。厚底靴を履いたままではブレーキペダルを踏み切れず、それが原因の交通事故も多発した(ペダルをきちんと踏めない履物での運転は、そもそも道路交通法が禁じている)。ファッションアイテムが「気をつけて」と語られる扱いを受けるのは、当時としてはかなり珍しい現象だったはずだ。かわいさとリスクが同じ靴の中に同居していた、平成のギャルらしさがいちばん濃く出たアイテムのひとつに見える。
No.7プリクラ
写真を撮ってその場でシールにできるという体験そのものが革命だった。一般名称は「プリントシール機」「写真シール機」で、いま誰もが使う「プリクラ」のほうは、アトラスが1995年7月に発売した機種「プリント倶楽部」に由来する(同社がセガの傘下に入ったことで、現在はセガの登録商標にあたる)。友だち同士で撮って、手帳やノートの余白に貼って交換する――この「プリ帳」文化は、女子高生に限らず全国の若者に広がり、ゲームセンターや駅前の風景まで変えてしまった。デコレーションの機能がどんどん増えていったのも、盛るという価値観がすでにこの機械の中に埋め込まれていたからだと思う。SNS時代の自撮り文化の、いちばん最初の祖先はここにある。
No.6渋谷109
渋谷駅前にそびえる、円柱形のエレベーター・タワー(シリンダー)を鋭角の敷地に抱いたあのビルは、ギャルファッションの拠点として全国区の知名度を得た。1979年4月28日の開業当初は25歳から39歳までの女性向けテナントを集めていたのが、のちに方針を転換し、いまは15歳から24歳向けが館内のほとんどを占める。テナントのショップ、そこで働く販売スタッフ、館内を歩く客――そのすべてが「渋谷系ギャル」のイメージを作るパーツになり、地方からわざわざ遠征してくる人までいた。ビル一棟がまるごと聖地化していく現象は、単なる商業施設の成功以上に、街とファッションが一体化した稀有な例に見えてくる。
No.5カリスマ店員
109をはじめとするショップの販売員が、雑誌の誌面を飾り、街で声をかけられ、しまいにはタレントとして活動するようになる――「カリスマ店員」という肩書きは、平成のギャルカルチャーが生んだ独特の役割だった。1999年(第16回)の新語・流行語大賞では「カリスマ」がトップテンに入り、受賞したのは渋谷109「Egoist」のカリスマ店員たちである。選評は「女子高生の憧れる職業第一位はファッションショップの店員である」と書き、彼女たちのコーディネートやメイクがそのまま若い女性のトレンドになったと記している。店に立つ人が憧れの対象になり、その人が身につけているものが翌週には店頭で品切れになる。買う側と売る側の距離がここまで近くて、しかも売る側がスターになるという構造は、今のインフルエンサー的な発信の、かなり早い原型に見えてくる。
No.4ガングロ・ヤマンバ的な日焼け肌メイク
肌を思い切り焼き込み、髪を脱色し、目の周りだけ白く抜く――当時「ガングロ」「ヤマンバ」という呼び名がついた日焼け肌メイクの一群は、賛否どちらの声も大きく引き寄せた、平成でもっとも報道量の多いビジュアルのひとつに数えていい。学校や大人たちからは眉をひそめられる一方で、渋谷のセンター街を歩くその集団を一目見ようと、わざわざ地方からやってくる人までいたと聞く。茶化すつもりはなく、「規格外に振り切る」ことそのものを表現として選んだ人たちがいた、という事実として受け止めている。当時のブラウン系・グロス系メイクの発展形は、色を変えながら今もコスメ棚に残っている。似た系統のアイテムが気になる方は、通販アプリでまとめて見比べてみるのもいいかもしれない。
No.3アムラー現象
安室奈美恵さんのヘアスタイルやメイク、着こなしを真似る若い女性たちが「アムラー」と呼ばれ、街のあちこちに現れた時期がある。1996年(第13回)の新語・流行語大賞では「アムラー」がトップテンに選ばれ、受賞者は「正統『アムラー』を自認する皆さん」だった。選評が挙げた条件は、超ミニスカート、底の厚いブーツ、肩まで垂らす長い髪の三点セット。ひとりのアーティストのスタイルが、これほど広範囲かつ短期間で街の風景を塗り替えた例は、平成を通してもそう多くない。本人の活動や人柄についてここで語るつもりはないけれど、「憧れの人の格好を真似したい」という気持ちが社会現象と呼べる規模にまで膨らんだ出来事として、この順位に据えた。
No.2ギャル雑誌(eggやPopteenなど)
読者そのものが誌面のモデルになる「読者モデル」文化を広めたギャル雑誌は、雑誌というメディアの枠を越えて、ファッションの発信源そのものになった。表紙を飾った読者モデルが翌月から街で声をかけられ、彼女たちが着ていた服やメイクが次の号でまた特集される――発信する側と読む側がぐるぐる入れ替わる構造は、今のSNS発信文化を先取りしていた、と今になって思う。
No.1ルーズソックス
このランキングを1位に置いたのは、単純な理由からだ。学校が校則で本気で議論し、ニュース番組が特集を組み、靴下という地味なはずのアイテムひとつが、これほど全国的な話題になった例をほかに知らない。1996年(第13回)の新語・流行語大賞にもトップテンとして選ばれていて、受賞したのはメーカー側、ブロンドール社長の鴇田章さんだった。選評は「ソックスのゴムを抜いただけで、アッという間に女子高生の足元ファッションに大ブームを巻き起こした」と書いている。だぶつかせて重ねて履く、その着崩し方自体が「反抗」でありながら「かわいい」でもあるという、当時にしか成立しなかった空気をまとっていた。今この靴下を見ると、正直、笑ってしまうくらいの存在感がある! それなのに、あの頃の教室の匂いまで一緒に立ちのぼってくる自分もいる。
熱は形を変えて続いている
こうして書き終えて気づいたのは、平成のギャル文化が「社会現象」になったのは、かわいさだけが理由ではなかったということだ。眉をひそめる大人がいて、それでも譲らない若い人たちがいて、その摩擦そのものがニュースになっていた。今、令和のY2Kブームやガールズトレンドを見ていると、あの摩擦の熱がすっかり抜けて、もっと軽やかに「盛る」ことを選べる時代になった気がする。それを寂しいと思うか、健全だと思うかは、たぶん人によって違う。
あなたなら、この10個をどう並べ替えるだろうか。厚底を1位にする人もいれば、ガングロを外せない人もいるはずだ。……この見立てに、正解はない。それぞれの記憶の中で、平成ギャル文化はまだちゃんと生きている。
母のクローゼットを掘り返した記録は母のクローゼットを発掘するに、令和のY2Kがなぜまた選ばれているかは令和ギャルのシルエットにまとめている。あわせてどうぞ。