eggのInstagramやTikTokを眺めていると、ふとした違和感に気づいた。「Y2K」という言葉は2022年頃からずっと言われているのに、出てくるコーデの印象が年ごとに微妙に違う。同じパリパリのサテンスカートでも、数年前に見たものと、最近のスナップでは何かが変わっている気がした。それがシルエットの重心だと気づいたのは、しばらく経ってからだった。

Y2Kと「令和ギャル」、シルエットが違う
2000年代のギャルコーデをアーカイブで見ると、上半身にボリュームが集まっていることが多い。肩を強調するシルエット、ウエストを絞ったトップス、デカ目を中心としたパーツ最大化のメイク。全体として「上向きの重心」で立つようなバランス感覚だった。
令和版のY2Kは、その重心が下に移っている印象がある。フレアスカートやワイドパンツで裾にボリュームを出しながら、上はタンクトップやカットオフでシンプルに抜く。デカ目はカラコン1枚で仕込んで、あとは自然——というようなバランス感覚。「盛ってるのに重くない」感じが、今のギャルコーデの特徴に見えてくる。
使っているアイテムのキーワードは同じ「Y2K」でも、シルエットの軸が変わると別の服に見える。それが「古くない」という印象を生み出している理由の一つかもしれない。
「盛る」の意味が変わった気がする
以前の「盛り」は、パーツ別の最大化だった。目は大きく、肌は明るく、まつ毛の束感を増やし、爪は長く。それぞれのパーツが独立した主張を持っていた。
今は「コーデ全体のトーンをそろえること」が盛りの基準になっている気がする。カラコンがグレーなら、アクセもシルバー、服は白かラベンダー。目元に入れるグリッターとスカートの素材感が呼応している——そういう、個々のパーツより「画面全体の統一感」を意識したコーデが増えてきた印象がある。
パーツが主張し合う「ガチャガチャした盛り」から、全体がひとつのトーンにまとまった「整った盛り」に変化した——とも言えるかもしれない。強度は落としていないのに、印象がうるさくない。それが令和ギャルらしさに見えてくる。
地雷系・平成女児テイストとの混ざり方
最近のギャルコーデで気になるのは、「純粋なギャル」より「何かと混ざっているギャル」の比率が増えていることだ。地雷系のくすみカラーでギャルアイメイクをつくる。平成女児風のフリルをY2KのミニスカートにMIXする。韓国コスメのトーンをギャルメイクのベースに使う。
これを「定義がなくなった」と捉えるより、「MIX比率を自分で選べるようになった」ステージに来ている、と見る方がしっくりくる。ひとつの系統にすべてそろえなくても成立するようになったのは、コーデを参考にできるプラットフォームが増えて、組み合わせのアイデアが広がったことの影響も大きいと思う。
「平成女児テイストとギャルを混ぜるのは変じゃないか」という迷いが、今はあまりないように見える。混ざり方が正解かどうかより、全体のトーンが自分の意図でそろっているかどうかの方が重要になってきた気がする。
コーデの起点が服からコスメに移ってきた、かもしれない
個人的な観察だが、コーデの組み立て順が変わってきた印象がある。以前は「服を決めてからコスメを合わせる」が自然な流れだった。今は「カラコンやネイルを先に決めて、そこから服を選ぶ」ルートが増えているように見える。
「今日はグレーのカラコンだから、服は白か淡い色にして、アクセはシルバーを多めに」——コスメが起点になると、コーデの全体感がそこから展開される。これはカラコンやネイルの選択肢が増えて、「何色でも選べる」状態になったことと関係していると思う。選べるから起点になれる。
カラコンを選ぶ際の数値確認や色の選び方についてははじめてのカラコン選び方でまとめているので、コーデの起点にカラコンを使いたい方の参考になれば。コスメ全体の選び方の軸についてはプチプラコスメを選ぶ前にでも整理しています。
「ギャル」をあえて選ぶということ
「ギャル」という言葉を今積極的に使う人が何を選んでいるかというと、見た目の宣言だけではない気がしている。
ミニマリズムとは逆方向の、「足し算してもいい」という感覚の表明。「ありすぎる」ことを怖れない選択。洗練や引き算が評価される文脈とは別のところで、盛ることに迷いがないスタンス——それが今の「ギャル」という言葉に込められているものの一部だとしたら、Y2Kが繰り返し選ばれる理由も少し見えてくる気がする。
2000年代のパワーは「目立つこと」だったかもしれない。令和のそれは「自分に許可を出すこと」に近いのかもしれない。シルエットの重心が下がって、ミックスが増えて、コーデの起点が変わって——それでも「ギャル」という言葉は残っている。変化しながら続いているものには、変わっても消えない何かがある。